二十四節気     

                                                                    
立春 旧暦正月、寅の月の正節。
新暦2月4日頃
(節分の翌日)
春の気配をどことなく感じる時節
立春は雑節の基準日で、八十八夜・土用・二百十日のどを起算する。
雨水 旧暦正月、寅の月の中気。
新暦2月18か19日頃
(立春後15日目)
天文学的には、太陽が黄経330度の点を通過するとき。
今まで降った雪が解けて水となり、雪が雨に変わって降るという意味。
農耕の準備などは、この雨水を目安として始める。
啓蟄 旧暦2月、卯の月の正節。
新暦3月5か6日頃
天文学的には、太陽が黄経345度の点を通過するとき。
冬の間、土の中で冬ごもりしていた、いろいろな虫が穴を啓いて地上へ
這い出してくるというところから啓蟄と呼ばれる。
春分 旧暦2月、卯の月の中気。
新暦3月21日頃
天文学的には、太陽が黄経0度の点(春分点)を通過するとき。
この日、太陽は真東から昇って真西に沈み、昼と夜の時間がほぼ等しく
なる(しかし実際には、光の屈折現象のため、昼のほうがやや長い)
この日以降は昼がだんだん長くなり、反対に夜が短くなる。
一般では、この日を春の彼岸の中日といい、国民の祝日の一つである。
なお、春分点は、天球上で黄道と赤道が交わる二つの交点の内、
太陽が赤道の南から北へ向かって横切る点のことで、赤経・黄経の
原点となる。歳差により、毎年わずかずつ西に移動し、現在はうお座にある
清明 旧暦3月、辰の月の正節。
新暦4月4〜5日頃
(春分後15日目)
天文学的には、太陽が黄経15度の点を通過するとき。
この頃になると、春気玲瓏にして、桜や草木の花が咲き始め、万物に
晴朗の気があふれてくる。
この日、沖縄地方では、墓参の行事(清明祭)が行われる。
穀雨 旧暦3月、辰の月の中気。
新暦4月20日頃
天文学的には、太陽が黄経30度の点を通過するとき。
穀雨とは、百穀を潤す春雨をいう。この頃は、春雨のけむるがごとく
降る日が多くなり、田畑を潤して穀物などの種子の生長を助けるので
種まきの好期をもたらす。雨が長引けば菜種梅雨となる。
立夏 旧暦4月、巳の月の正節。
新暦5月5か6日頃
天文学的には、太陽が黄経45度の点を通過するとき。
春ようやくあせて、山野に新緑が目立ち始め、風もさわやかになって、
いよいよ夏の気配が感じられてくる。蛙が鳴き始め、みみずが這い出して
竹の子が生えてくる。だが、気象的にはいまだ春といった感が強い。
小満 旧暦4月、巳の月の中気。
新暦5月21日頃
(立夏後の15日目)
天文学的には、太陽が黄経60度の点を通過するとき。
万物しだいに長じて天地に満ち始めるという意味から小満といわれる。
麦の穂が生長し、山野の植物は花を散らして実を結び、田に苗を植える
準備などを始め、蚕が眠りからさめて桑を食べ始め、紅花が咲き誇る
季節である。気象的には、この頃から梅雨となる年が多い。
芒種 旧暦5月、午の月の正節。
新暦6月5〜6日頃
天文学的には、太陽が黄経75度の点を通過するとき。
芒種は梅雨入りの前で、昔の田植えの開始期にあたる。雨が間断なく
降り続き、農家は田植えの準備などに多忙を極める。芒種とは、稲や
麦などの芒のある穀物、すなわち稲を植え付ける季節を意味している。
かまきりや蛍が現れ始め、梅の実が黄ばみ始める頃でもある。
夏至 旧暦5月、午の月の中気。
新暦6月21日頃
天文学的には、太陽が黄経90度の点を通過するとき。太陽は赤道から
最も北に離れ、北半球では南中の高度が最も高くなる。この日、北半球
では昼が最も長くなり、反対に夜が最も短くなる。
夏至は夏季の真中にあたり、梅雨の真っ盛りで、しとしとと長雨が続く。
農家は田植えに繁忙を極める季節である。しょうぶが咲き始め、半夏が
生えてくる。
なお、夏至線は北回帰線ともいい、北緯23度27分を走る線。北上して
きた太陽は、夏至の日にこの線の真上を通過し、以後再び南下する。
少暑 旧暦6月、羊の月の正節。
新暦7月7日頃
天文学的には、太陽が黄経105度の点を通過するとき。
この日から暑気に入り、暑中見舞いも出されるようになる。夏至を境に
して、日足は徐々につまってくるが、実際には実感されないようだ。
小暑の前後に梅雨が明け、夏の太陽が照り付けて、暑さは日増しに
加わってくる。梅雨明け前の、いわゆる集中豪雨に見舞われることも
多いので注意を要する。
大暑 旧暦6月、羊の月の中気。
新暦7月23日頃
天文学的には、太陽が黄経120度の点を通過するとき。
梅雨明けのこの頃はますます暑くなり、一年中で最も気温の高い、酷暑
の季節である。桐のつぼびがつき始め、油蝉がうるさく鳴き、さるすべりの
真紅の花が印象的である。大地が潤って蒸し暑くなり、ときどき大雨が
降る。夏の土用はこの季節に入る。
立秋 旧暦7月、申の月の正節。
新暦8月7か8日頃
天文学的には、太陽が黄経135度の点を通過するとき。
この日から旧暦の上では秋に入るが、実際には残暑は厳しく、立春を
起点として上り坂にあった平均気温は、立秋の頃、高温のピークに達する
しかし、風のそよぎ、雲の色や形に、何とはなしに秋の気配が感じられる。
ひぐらしが鳴き始め、所により深い霧が発生する。暑中見舞いも、この日
以降からは残暑見舞いとなる。
処暑 旧暦7月、申の月の中気。
新暦8月23日頃
天文学的には、太陽が黄経150度の点を通過するとき。
暑さが止むの意味から処暑という。涼風が吹きわたる初秋の頃で、暑さも
ようやくおさまり、綿の花が開き、穀物が実り始め、収穫の候も目前となる
昔から、この頃は二百十日と並び台風襲来の特異日とされており、暴風雨
に見舞われることが少なくない。
白露 旧暦8月、酉の月の正節。
新暦9月7か8日頃
(秋分前の15日目)
天文学的には、太陽が黄経165度の点を通過するとき。
白露は「しらつゆ」の意で、この頃、秋気も本格的に加わり、野草に宿る
しらつゆが、秋の趣をひとしお感じさせる。せきれいが鳴き始め、つばめ
が去っていく。
秋分 旧暦8月、酉の月の中気。
新暦9月23日頃
天文学的には、太陽が黄経180度の秋分点を通過するとき。
太陽は真東から昇り、真西に沈む。この日は、秋の彼岸の中日で、国民の
祝日の一つ「秋分の日」となっている。先祖を敬い、亡くなった人の御霊を
偲ぶ日として親しまれている。また、この日は春分と同じく、昼と夜の長さ
がほぼ等しい。しかし、秋分の日と春分の日の気温を比較してみると、
平均気温で秋分の方が10度以上も高くなっている。これは、夏の暑さの
名残があるからである。雷が鳴らなくなり、虫は地中に隠れ、水が涸れ始
める。台風のシーズンでもある。
寒露 旧暦9月、戌の月の正節。
新暦10月8日頃
(秋分後の15日目)
天文学的には、太陽が黄経195度の点を通過するとき。
寒露とは、晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のことをさし、秋の
深まりを思わせる。この頃になると、五穀の収穫もたけなわで、農家では
再び、ことのほか繁忙を極める。山野には晩秋の色彩が色濃く、はぜの木
の紅葉が美しい。朝晩は肌にそぞろ寒気を感じ始めるようになる。雁などの
冬鳥が渡って来、菊が咲き始め、こおろぎが鳴きやむ。
霜降 旧暦9月、戌の月の中気。
新暦10月23日頃
天文学的には、太陽が黄経210度の点を通過するとき。
秋も末で、霜が降りる頃という意味から霜降という。この頃になると、秋の
もの寂しい風趣がかもされてきて、早朝など所によっては霜を見るようになり
冬の到来が感じられてくる。小雨がときどき降り、楓や蔦が紅葉し始める。
立冬 旧暦10月、亥の月の正節。
新暦11月7か8日頃
天文学的には、太陽が黄経225度の点を通過するとき。
これから冬に入る始めの節で、この頃は陽の光もいちだんと弱く、日足も
目立って短くなり、北国からは山の初冠雪の便りも届くなど、冬の気配が
うかがえるようになる。冬の季節風第一号が吹き始めるのもこの頃である。
時雨の季節でもあり、山茶花が可憐に咲き始める。また続いて南国では
椿・水仙なども咲き始める。寒冷地では、大地が凍り始める。
小雪 旧暦10月、亥の月の中気。
新暦11月22日頃
(立冬後の15日目)
天文学的には、太陽が黄経240度の点を通過するとき。
小雪とは、寒さもまだ厳しくなく、雪まだ大ならずの意味である。市街には
まだ本格的な降雪はないものの、遠い山嶺の頂には白銀の雪が眺められ、
冬の到来を目前に感じさせられる。北風が木の葉を吹き飛ばし、みかんが
黄ばみ始める。
大雪 旧暦11月、子の月の正節。
新暦12月7日頃
(立冬から約30日後)
天文学的には、太陽が黄経255度の点を通過するとき。
もう山の峰は積雪に覆われているので、大雪という。平地も北風が吹きす
さんで、いいいよ冬将軍の到来が感じられる。この時節、時として日本海側
では大雪になることもある。ぶりやはたはたの漁が盛んになる。熊が冬眠に
入り、南天の実が赤く色づく。
冬至 旧暦11月、子の月の中気。
新暦12月22日頃
天文学的には、太陽が黄経270度の点を通過するとき。
この日、太陽が赤道以南の南半球の最も遠い点にいくため、北半球では
太陽の高さが一年中で最も低くなる。そのため昼が一年中で一番短く、夜が
一番長くなる極点となる。冬の季節の中間点で、太陰太陽暦の時代には、
冬至は暦の計算の起算点として最も重視されたが、現在の太陽暦では春分
点の方が重視される。この頃から、しだいに寒さも厳しくなる。年末頃に
日本列島を通過する低気圧を、特に年末低気圧と呼び、これを境にして
本格的な冬将軍の訪れになることが多い。鹿の角がとれ、雪の下から麦が
伸びてくる。昔からこの日を祝う風があり、特にその日が旧暦11月1日に
あたると「朔旦冬至」といって瑞祥とされ、宮中で祝宴が行われた。またこの
日、民間でも小豆粥やかぼちゃを食べ、冷酒を飲み、ゆず湯に入る風習が
ある。
小寒 旧暦12月、丑の月の正節。
新暦1月5か6日頃
(冬至後15日目)
天文学的には、太陽が黄経285度の点を通過するとき。
この日をもって「寒の入り」とし、寒中見舞いが出されたりする。この日から
節分までが「寒の内」で、約30日間、厳しい寒さが続く。小寒とは、寒気が
まだ最大までいかないという意味であるが、実際は小寒の頃の方が寒さが
厳しい厳しいことが多い。芹の苗が出盛り、雉が鳴き始め、泉の水が心もち
温かみを含んでくる。小寒から4日目を、特に「寒四郎」、9日目を「寒九」と
呼んでいた。寒四郎は、麦作の厄日とされており、この日の天候によって、
その後の天気や収穫に重大な影響があると信じられていた。また、寒九は
「寒九の雨」といって、この日に降る雨は、農家にとって豊作の兆しであると
信じられ喜ばれた。
大寒 旧暦12月、丑の月の中気。
新暦1月20日頃
天文学的には、太陽が黄経300度の点を通過するとき。
ますます極寒の辛苦にさいなまれ、寒さの絶頂期である。一年で最も寒い
季節で、各地で一年の最低気温が記録される。寒の入りから数えて16日目
にあたり、いろいろな寒稽古も行われる。沢は凍りついているが蕗の花が
咲き始め、鶏が卵をかえし始め、春はもうすぐ間近に迫っている。南国から
は、柳の芽吹きの便りが届けられる。