暦 | 暦は太陰暦、太陰太陽暦、太陽暦などに分類され、現在用いられているのは、太陽暦の グレゴリオ暦である。 詳しくは ここをクリック |
四季 | 天文学上の四季 春 春分〜夏至前日、夏 夏至〜秋分前日、秋 秋分〜冬至前日、冬 冬至〜秋分前日 気候学上の四季 太陽暦(新暦) 暦の上での四季 旧暦・月切り・太陰太陽暦 二十四節気による四季の三区分 |
和風月名 | 旧暦における各月の日本風の名称 一月睦月、二月如月、三月弥生、四月卯月、五月皐月、六月水無月、七月文月、八月葉月、 九月長月、十月神無月、十一月霜月、十二月師走、 詳しくはここを クリック |
二十四節気 | 太陽が春分点を出てから、再び春分点に達するまで黄径360度とし、これを二十四等分して 各節気を配置し、一年間の気候の移り変わりをわかるようにした。 立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、少暑、大暑、 立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒、 詳しくはここを クリック |
七十二候 | 二十四節気の各一気をさらに細かく三等分して、一年を五日ごとの七十二候に分け、 二十四節気と同様に、それぞれの時候につけた名称をいう。 詳しくはここを クリック |
年と暦 | 「とし」とは元来、穀物を意味し、五穀、特に稲をさす言葉であった。また転じて、稲の耕作・ 収穫・作柄なども意味する語になっていた。穀物が一回実る時期が一年に相当する事から、 「とし」は「一年」をも意味するようになったといわれる。 皇紀は神武天皇が即位したといわれる西暦紀元前660年を元年と定めたものである。 年は時間を測る単位で、太陽暦は地球が太陽の周りを一周する時間をいう。 太陰暦では、一年は月が地球の周りを十二周する時間であった。大の月と小の月を 組み合わせたり、閏月を加えたりするので、一年の日数は一定ではなかった。 |
月と暦 | 月は太陽に対し太陰ともいう。27、32日で自転しながら、約29、53日で地球を一周する。 新暦では、一太陽年を十二分してひと月とする。旧暦では、大の月を30日、小の月を29日 とした。太陽の運行との調和をはかるために閏月を置き、その年は、一年が13ヶ月となる。 ひと月は10ひごとに、上旬・中旬・下旬に分けられる。 月齢、朔弦望、朔望月、朔、朔望、朔日、既生魄 、既死魄、 |
日と暦 | 日とは、まず始めに太陽をいう。次に太陽が東に出てから西に沈むまでの間をいう。 この意味では、ひるま・ひる・日中ともいう。さらに、時間の単位としての一日また、 その重なりをいう。また、その重なり。日の出から次の朝の日の出まで、日没から次の 日没までである。天文学的には午前零時から午後十二時までをいっている。 この意味では、24時間・一昼夜・一日ともいう。 |
日の出・入り | 日の出・入りの時刻は、太陽の上辺が地平線に接して見える時刻である。太陽をのぞむ 土地の海面からの高さは計算にいれていない。したがって、高い山の山頂から日の入り を測ると、発表された時刻より若干遅くなる。 |
月の出・入り | 月の出・入りの時刻とは、月の中心が地平線上に見える時刻である。土地の海面からの 高さや月が出る山頂などの高さは計算にいれていない。月の出・入りの時刻は、一日に 平均50、47分ずつ遅れる。しかし、この遅れは土地の緯度や月の位置によって変わり 一定しないので注意する必要がある。 |
名月の由来 | 月には実にさまざまな名称で呼ばれている。太陽にはこんなにたくさんの名前はついていない 新月、二日月、三日月、上弦・七日月、十三夜月・十三日月、小望月・十四日月、 満月・十五日つき、十六夜・十六日月、立待月・十七日月、居待月・十八日月、 寝待月・十九日月、更待月・二十日月、下弦・二十三日月、三十日月、有明月、夕月 |
潮の干満 | 月と太陽が同一方向または反対方向にある場合には、月による満潮と太陽による満潮 とが重なるので、満潮は高く、干潮は低い。これを大潮という。一方、月による満潮と 太陽による干潮が重なると、満潮もそれほど大きくならず、干潮もそれほど低くならない。 これを小潮という。 干潮は月と太陽の両方の引力による。月は太陽よりも地球に近いので、月の引力のほうが 約二倍ほど影響力が大きい。干潮の差の大きいのは旧暦における各月一日と十五日、 そして、八日の上弦の日と二十三日の下弦の月のときに、干満の差は最も小さくなる。 大潮、中潮、小潮、長潮、若潮、 |
陰陽説 | 森羅万象、宇宙のありとあらゆるものは、相反する陰と陽のニ気の働きによって万物の事を 理解し、また将来までを予測しようという世界観である。すなわち、陰と陽のニ気が互いに 消長しまた調和して、自然界の秩序は保たれている。 五行説と結びつき、陰陽五行説となり、十干十二支と結びついて、さらに天文・気象をも 取り込み、中国暦における暦法・暦術の進展、また一方、易・卜筮などへ深化していく ことになる。 |
五行説 | 天地間のすべては、木、火、土、金、水の五つの要素で成り立っており、自然界・人間社会 の諸現象など森羅万象のすべてが、五惑星の木・火・土・金・水の精気の消長・盛衰によって 影響されるというのである。 万物を形成している五種の材料をいう五材からきたものである ともいわれている。 「行」は、もと巡る・運行する意であった。「五」は人間の片手の指が五本あることから生じたと 考えられている。すなわち、「五行」は五つの巡るものという意味である。 |
陰陽五行説 | この世の始め、宇宙はいまだ混沌たる状態であったが、やがて軽く清んで暖かい気、 すなわち陽の気がまず上昇して「天」となった。それと同時に、重く濁って寒い気、すなわち 陰の気が下降して「地」になったという。この二つの気・陰陽は一年を周期として代わる代わる に消長盛衰する。その消長する間に木、火、土、金、水という五つの活力のある部質を生じる。 この木、火、土、金、水も陰陽と同じように一年を周期として代わる代わるに消長盛衰し、 そのため一年の間に春夏秋冬の四季節の別が生じる。 時計の振り子のごとく、無限に一方に傾くことなく、宇宙のあらゆる諸現象は生成消滅するもの であるとする。 中国古来の思想は、医学も運命学も木、火、土、金、水、すべてが陰陽五行説から成り立つ。 |
土用 | 四季の間にはそのいずれでもない中間の季がある。これが各季節のすえにおかれた、 十八日間の土用である。 過ぎ去っていく季節を殺し、来るべき季節を育成する転換作用。 |
十干 | もともと十干は日の順序を示すための符号であった。第一日目から甲乙丙丁戊己庚辛壬癸 と符号をつけて数えていくために用いられた。すると、十干はおよそ一ヶ月に三回巡ってくる ことになり、覚えておくには頃合いの回数となる。 陽の兄、陰の弟を五行に配当することにより十干はそれぞれに意味を持つようになる。 甲 木の兄、乙 木の弟、丙 火の兄、丁 火の弟、戊 土の兄、己 土の弟、庚 金の兄、 辛 金の弟、壬 水の兄、癸 水の弟(弟の場合十二支の読みとの間にのを入れて読む) |
十二支 | もともと十二支は五惑星のうち最も尊貴とされた木星の運行からきたもので、木星が十二年 で天を一周することから、木星の位置を示すために、天を十二分した場合の呼称が十二支 であった。木星は西から東へ移動するので仮の存在の星を設け、東から西に移動させる ことにした、。この想像の星は神格化されて太歳とよばれた。そしてこの太歳のいる場所に つけられた名前が子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥、の十二支である。 月の十二支は、陰陽説の消長を草木の発生、繁茂、成熟、伏蔵、の過程12種にしたもの。 十二支の名称は、字も読めない人々のためにわかりやすい動物の名前をあてはめた。 十二支は、時刻や方位にも配当される。 |
十干十二支 (干支) |
十干と十二支を組み合わせると、その最小公約数の六十種類の干支ができる。 甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥、丙子、丁丑、 戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、甲申、乙酉、丙戌、辛亥、戊子、己丑、庚寅、辛卯、 壬辰、癸巳、甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰、乙巳、 丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑、甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、 庚申、辛酉、壬戌、癸亥 |
お日柄 | その日の吉凶。お日柄・日の良し悪し。日次ともいう。また、祥月命日という女房詞にも用いられる 詳しくはここを クリック |
六曜 | 六曜は迷信の最たるもので、一ヶ月30日を指の数である五つに分割して六日の小単位に したものである。これがどうしたものか、江戸時代の終わり頃から、「おばけ」の暦注として、 流行しはじめ、明治五年の改暦詔書で、吉凶付きの暦注はでたらめで、よりどころがない として禁止されたが、これがかえって六曜の人気を高め、第二次大戦ご大流行し、現在に至る 先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口、の順に旧暦の月日に機械的に配当されるが、 月が変わると最初の六曜が変更される。そのため新暦の日付けの下に六曜が記されると 実に不思議な動きに見える。ここに六曜が流行しだした隠れた要因がうかがえる。 さらに、その吉凶をよく調べてみると、勝負事にこだわっている点から遊び人や勝負師 の間で用いられていたと思われる。 |
七曜星 | 日、月と木星、火星、土星、金星、水星の五星の総称である。 そもそも七曜は、古くユダヤ教徒からキリスト教徒に伝えられ、それがしだいに中央アジア 経由して中国まで、東へ東へとキリスト教の布教とともに普及していったものである。 |
十二直 | 十二直は日々の吉凶を見るためのものである。 暦注といえば、この十二直をさすぐらいであり現在でも、これを利用している人は多いらしい。 真北を十二支の子として、以後順に東回りに配当する。この配当と、北斗七星の回転が 結びついたのが十二直である。 日に配当される十二直と十二支は、その数が同じことから何日経過しても同じ組み合わせで 経過していく。これでは日の吉凶を占ったとしても、おもしろくないので十二支と一ヶ月一日 ずらして、一年後にまたぴったりとあうようにした。 建、除、満、平、定、執、破、危、成、納、開、閉 |
選日 | 暦注のなかで、六曜や七曜・十二直に含まれないものを総称して選日または雑注ということが ある。選日の多くは、六十干支の組み合わせによって、その日の吉凶判断を行うものである。 八専、十方暮、三隣亡、土用、天一天上、三伏、庚申、甲子、己巳、一粒万倍日、 不成就日、ろう日、大土・小土、辛酉、還暦、丙午 |
二十八宿 | 天の赤道にそって選び出された28の星座をいう。二十八宿のそれぞれを代表する星、各宿の 基準点となる星を距星という。二十八宿は古代中国の星座である。もともと二十八宿は、月の 天球上の位置を示すために用いられていたもので、純天文学的なものであった。これが、年・ 月・日に配当されて、それに付随して吉凶判断のみを示すようになった。 月はある恒星に対して、27日7時間43分11.5秒で天を一周する。そこで天を27、または 28で区分するのが便利である。28は4で割ることができる、そこで、二十八宿となったので あろう。 角、亢、てい、房、心、尾、箕、斗、牛、女、虚、危、室、壁、けい、婁、胃、昴、畢、し、参、 井、鬼、柳、星、張、翼、しん |
下段 | 昔の暦にはさまざまな暦注が記載されていたが、そのなかで、日々の吉凶について、暦の 最下段に記載されている暦注を、一般に「下段」または「暦注下段」「暦の下段」などと呼んで いる。下段は迷信的な要素が強く、その弊害も著しく、国家権力によって過去三回も禁圧され また昔から識者の批判も多かったが、なかなか改められることがなく、庶民の間に根強く生き てきたものが大部分である。明治五年改暦の詔書で一切の暦注が禁止された。しかし、それ でも秘かに「おばけ暦」なる非公認の運勢暦が出版され、それが庶民の間に広まり、暦注は なくならなかった。 受死日、十死日、五墓日、帰忌、血忌日、重日、復日、天火日、地火日、三箇の悪日、 大禍日、狼籍日、滅門日、時下食、歳下日、凶会日、往亡日、天赦日、神吉日、大明日、 鬼宿日、天恩日、母倉日、月徳日、 |
納音 | 納音とは運命判断の一つで、六十干支に五行を配当して、これに種々の名称をつけ、それを 人の生年にあてて運命を判断する。納音は具注暦、貞亨暦以後の仮名暦に必ず記載されて いた。暦注の上段、十二直の下に書かれた木火土金水の五行の配当が納音というものである。 海中金、大林木、剣鋒金、澗下水、白ろう金、井泉水、霹靂火、長流水、山下火、壁上土、 覆灯火、大駅土、桑柘木、沙中土、柘 木、灯中火、路傍土、山頭火、城頭土、楊柳木、 屋上土、松柏木、沙中金、平地木、金箔金、天河水、さい釧金、大渓水、天上火、大海水、 |
九星 | 九星とは、人間の運勢や吉凶の判断に用いられる九つの星のことで、現実の天体の星とは まったく関係がない。九星を五行と方位に配し、これを人の生年にあてて吉凶を占うもので、 この意味では九星術ともいう。一般に市販されている運勢暦には、その年の吉凶方位図が 記載されている。 一白、二黒、三碧、四緑、五黄、六白、七赤、八白、九紫 |
方位神 | 方位の吉凶と日本人との関係は古く、平安時代には「方違え」といって、行こうとする方角が 凶であると、いったん他の方角の地へ行って、そこから方角を変えて目的地へ行くということが 盛んに行われた。 歳徳神、恵方、月徳合、歳禄神、歳枝徳、歳徳合、生気、奏書、天道、天徳、天徳合、博士、 金神、太歳神、大将軍、大陰神、歳刑神、歳破神、歳殺神、黄幡神、豹尾神、本命殺、的殺 暗剣殺、五黄殺、歳破、月破、定位対沖、鬼門、都天殺、白虎、死符、病符、劫殺・災殺、 蚕室、日遊神、 |