和風名月       

日本独特の豊かな季節感から生じたもので、それらの語源を明らかにすることは大変に難しく
まだよくわかっていないことも多いが、古来、多くの学者が述べてきた説を中心に紹介する。

                                                                
 睦月  旧暦一月の異称。
正月は身分の上下なく、また老いも若きもお互いに往来して拝賀し、親族一同集まって娯楽遊宴
するという睦び月の意であるとし、このムツビツキという言葉が訛ってムツキになったという説と、
「元つ月」が略されてムツキとなったという説や、草木の萌きざす「萌月」が約されたものだとする説。
春陽発生の初めである「生月」のことであるとする語源説などや、稲の実を初めて水に浸す月で
「実月」などがある。
 如月  旧暦ニ月の異称。 衣更着とも書く。
二月はまだ寒さが残っているので、衣を更に重ね着するから「きぬさらにき月」といったのが短くなり
「衣更着」となったという説。「草木張り月」の意で、草木の芽の張り出す月という説。旧暦二月は燕が
来る時候であるといわれており、去年の旧暦八月に雁がきて、さらに燕がやって来始める月、
すなわち「来更来」月が語源だとする説。「(陽)気が更に来るから」という説がある。
 現代では「キサ揺月の略」という説や、「生更ぎ」の意。草木の更生することをいう。
着物をさらに重ね着る意とするのは誤とする説もある。しかし次の弥生の語源と重なるところから、
どうも承服できないという意見も多い。
 弥生  旧暦三月の異称。
古来から、木草弥生い茂る月、つまり草木のいよいよ生え茂る月の意で、「きくさいやおいづき」が
詰まってヤヨイとなったという説が有力で、これに対する異説はあまりない。また「風雨あらたまりて
草木いよいよ生ふるゆえに、いやおひ月といふをあやまれり」という説明もある。
 現代では「いやおいの約転。水に浸したる稲の実のいよいよ生ひ延ぶる意」とする説。
「いやおいの変化した語かという」などがある。
 卯月  旧暦四月の異称。
旧暦では四月からすでに夏に入り、古来宮中では四月一日を衣替えの日とした。
『奥義抄』に「うの花さかりにひらくゆゑに、うの花づきといふあやまれり」と見え、以来「卯の花月」の
略というのが定説となっている。卯の花とは、空木の花のことで、5,6月頃、白色の小さな花を咲か
せる。しかしながら、十二ヶ月のうちでただ一つ、旧暦四月の月名になれるほどの花なのかどうか、
いささか疑問ではある。そのことから、旧暦四月頃さくので卯の花というのであって、卯の花が咲く
から卯月と書くのではないとする説もある。ほかに、十二支の四番目の卯を用いウヅキとしたという説
田に稲の苗を植える月、田植苗月であるという説。稲種を植える月「植月」という説。苗植月の転と
いう説がある。
 皐月  旧暦五月の異称。 早月とも書く。
この月は田植えが盛んで、早苗を植える月の意で早苗月といっていたのを略してサツキとなったという
また、サツキのサは、神に捧げる稲の意で、そこから稲を植える月の意になったともいわれる。
「狩は五月を主とす」として、狩猟の幸を得る幸月であるとの異説もある。さらに、「さ上り」や「さ降り」
などとの関連から、「『さ』は神稲の意か」という説もある。
 水無月  旧暦六月の異称。
「水無月」の転で、梅雨も終わって水も涸れ尽きるという説がある。これとは逆に、田植えもすみ、
田ごとに水を張る「水張り月」「水月」であるという説もある。また、田植えも終わり、大きな農作業を
すべてしつくしたという意味から「皆仕尽」または「皆尽月」の略であるという説。また、この月は雷が
多いことから、「加美那利月の上下を略けり」という珍説もある。
 現代では「田水之月」の略転。水を田に注ぎ入れる月「水の月」。『な』は「ない」の意に意識されて
『無』の字があてられるが、本来は『の』の意で「水の月」「田に水を引く必要のある月」の意としている。
 文月  旧暦七月の異称。
七月七日の七夕行事に、誌歌を牽牛・織女のニ星に献じたり、書物を開いて夜気にさらす風がある
ので文月という説がある。しかし、七夕の行事は奈良時代の養老年間に、中国から移入されたもので
もともと日本にはない風習であった。このことから、稲の「穂含月」だとする説のほうが、水稲耕作に
結びついて納得がいくようである。
 葉月  旧暦八月の異称。
木の葉が黄葉して落ちる月、すなわち「葉落ち月」「葉月」が訛ったものであるという説がある。ほかに
「穂発月」「穂張り月」のホとリが略されたものとする説があるが、少々こじつけの感がある。
稲穂の「発月」の意からきたという説もある。また、ちょっと変わった説として、この月に初めて雁が来る
月で「発来月」であるとするのがある。さらに「南風月の転化。南方より吹くグ風(台風)の多き月の謂で
あろう。日本書紀にこの訓を施した一例あり」とする説もある。
 長月  旧暦九月の異称。
古来からナガツキは「夜長月」の略であるとの説が有力である。つまり、秋の夜長の頃という意味で
ある。また、「長月とは、夜初めて長きをおぼゆるなり。実に長きは冬なれども、夏の短きに対して、
長きを知るゆえなり」という説明もある。しかし、異説も多い。まず、「稲刈月」のイとリが略され、
ねかづき→なかづき→ながつき、となったという説がある。次に、「稲熟月」が約されてナガツキになっ
たとする説もある。しかし、和風名月をどれでも稲作と結びつけすぎるのも無理があるように思える。
 神無月  旧暦十月の異称。
古くから神無月説が有力だある。つまり、旧暦十月には全国の神々が出雲大社に集まり、男女縁結び
の相談をするため、各地の神々が留守になるという信仰に由来するという。しかし、これには異説が
多い。まず、「イザナギノミコトカクレタマフ月なれば申すなり」として、天照大神などの父であるイザナギ
ノミコトの命日にちなむとする説がある。次に十月は雷の鳴らなくなる月、ゆえに、「雷なし月」の意味
だという説がある。さらに、「神嘗月」「神祭月」または「神の月」がカミナヅキの語源であるとする説も
ある。
 現代では、十月は翌月の新嘗の準備として新酒を醸す月、すなわち「醸成月」の意からきており、
神無月は当て字だとする説が有力である。神無月の無は「の」の意で、「神のつき」すなわち神祭りの
月の意である、とする説や、また、「神の月の意か。また、八百万の神々が、この月に出雲大社に集
まり他の国にいない故と考えられて来た。また雷のない月の意とも、新穀により酒をかもす醸成月の
意ともいわれる」という説明もある。一般的には「神嘗月」の意であると考えたほうが納得がいく。
 霜月  旧暦十一月の異称。
霜月という名の由来については、字義どおり霜が降る月であるからとする説が有力である。
『奥義抄』には、「霜しきりに降るゆえに、霜降り月といふを誤れり」と記してある。しかし、異説もある。
「凋む月」あるいは「末つ月」が訛ったものであるという説もあるが、有力ではない。
 現代では、「食物月」の略であるとして、「新嘗祭を初として民間にても新饗す」とする説などがある
 師走  旧暦十二月の異称。
十二月は一年の終わりで、皆忙しく、師匠といえども趨走する、というので「師趨」となり、これが
師走となったとする説が一般的である。また、師走の「師」は法師の意であるとし、十二月は僧を向
かえて経を読ませる風があったので、師がはせ走る「師馳月」であり、これが略されたものであるという
説もある。次に、「としはつるつき」または「としはするつき」の訛りであるという説もある。
 現代では「歳極の略転かという。あるいは万事、為果つ月の意。又、農事終る意か」という説もある。
が、「語源不詳。『師走』は当て字」とする方が納得がいく。